2016年3月26日(土)

記憶が風化する前に…。樹里

26日稽古。(16時から23時)

5日ぶりの稽古。

稽古前半はシーン1、物語の始まりのシーンから。
「幕開き5分で客の心を掴まなければ、その舞台にお客はついて来ないものと思え。」と教え込まれたことがある。
大切な始まり。
今までのやり方をガラリと大胆に変更して、行動をシンプルにした始まり。
ベクトルがはっきりして、シーンがモッタリしなくなった。

そして、

通し2回目。
1度目に通したひと月前とは明らかに違うシーンのクオリティ、濃さ、深さもありながら、
まだまだ改善の余地をたくさん見つけて、初日も迫っている事に少しだけ焦る。

一つ一つのシーンは各々、前よりも随分繊細で、ハッキリした表現になっていた。
問題が浮き彫りになったのは群読の箇所。

皆で作る分、配る注意も増えるし、個性が強い分、なかなか息が合わないところもあったり、
そこにパントマイム、時間軸のズレ…。抽象舞台を託された俳優の試練はなかなか大きいと感じた。

今日から小屋入りまで稽古の連続。
体力と精神力でラストスパートを走りたい。



2016年3月4日(金)

午前中は前回の通しの感想を皆でシェア。
午後は小返し稽古の第2巡目。

数日時間をおいてみて、改めてこの作品について思う事、向かっている所への再確認。

どこから来てどこに向かうか。
何がしたいのか、相手をどうしたいのかベクトルをハッキリさせること。

観念的に芝居をしてしまうことで、伝わるものは更にぼやけてしまうことの再確認。

この作品の危険性を充分に体感した通しだったと思う。

それぞれのキャラクターの強さを出すためにそれぞれのキャラクターの
背負っているものの探求を深める事と、抽象舞台で演じる上で、
俳優の想像と表現の具体性が切に求められる、という事が大きくわかった。

午後からのシーン稽古では、一巡目よりも俳優の吐く言葉の輪郭や、
舞台上でどこから来てどこへ向かうかの身体のベクトルが前よりもはっきりしてきた。

一つ一つ丁寧に積み重ねることでしか、
作品は大きくならないものだと改めて思った。

1月から始まってまだまだだ先だと思っていた本番も来月に迫り、
時間が過ぎていく早さに、焦燥感を感じながらそれも前へ進むガソリンだと思って稽古に挑みたい。



2016年2月7日(日)

◉今日稽古した所◉
#14(p.57)〜#17(p.74)終わりまで

◉memo◉
「わーーーーーーーーーーーーーーー」

と息吹が吠えた後、
「三年生の春」からの稽古だった。

冨樫さんのお言葉を借りれば、
ミッドポイント、関係に変化が出てくる所。

ドラマの真ん中に入っていく作業は、前半の時とはまた違う難しさ。
出演者含め全員で知恵アイデアを出し合う、中身の濃い贅沢な時間だった。

大きくは3シーンの稽古。

#14 奔放と哲学の出会い 、癇癪の「癇癪」
#15 敬虔 の恋の話
#16 奔放と〇〇と哲学の「Q体運動」会議

演じる役者、演出家の解釈によって無限にやり方がありそうなセリフのやり取りを、
どうやったら一番素敵に伝わるかの試行錯誤の時間。あっという間に日が暮れる。

本を読んでいただけの時には湧き上がらなかった感情や思考が、
立体的に観たときに、なるほど面白い!となる。
この本は演るほどに深くなる。謎がまだまだ多いが、
難しい「Q」を解いていく毎に、この戯曲のカラフルな色彩に心奪われる。

劇場に来るお客さまにも、この稽古場で今時々皆が遭遇している奇跡のような感動の瞬間に
たくさん立ち会うことができますよう。祈る思いで台本と向き合っている。